坂本龍馬像の下で集合!

寺尾中の中で保先生や沼さんが中心になっていろいろと出かけました。なぜか出かける方面、宿の手配などいつの間に私の仕事になっていました。わたしももう浜中へ転任した後でも、「ブラジル!」と声がかかると中華街にある喫茶店「ブラジル」へ集合しました。そこでバナナジュースを飲みながらみんなが集まるのをまちます。揃ったところで「揚州飯店」へ移動して、今回の旅行の説明しますが、本当にこの人たちは聞いてくれているのか、心配でした。私もあるていと、部活が忙しくなってきて、横浜から一緒に車に乗って行く時間がなくなり、とうとう出したアイデア高知県桂浜の坂本龍馬像の下で○時といういい加減な集まり方をしました。多少、時間の行き違いはありましたが、なんとか集まりました。そして、宿へ言って皿鉢料理で盛り上がりました。翌朝、自由民権資料館を見学した後、一気に四万十川を河川沿いの道を上がります。アイスクリン売りのおばあちゃんが田んぼの真ん中にいて、これで商売なるのかな、など、余計な心配してました。途中で一休みして、水切りをしたり、打製石器作りしたり勝手なことをして、じゃあいこうか、ということで四国カルストを越えて松山県側へ入ると道が真っ直ぐ整備されていてそのまま伊予松山に到着です。こうなれば道後温泉しかないでしょう。お湯に浸かって体を休めて涼しい風に吹かれてやどへかえりやした。翌朝、私は朝の一便で横浜に戻り、そのまま体育館へ直行しました。

だいたい私に企画をさせるとどういう目にあうか、例えばまだ復元していなかった福井県一乗谷宮城県多賀城へ案内します。「なにもないじやないか!」言われても「そのうちに出てくる!」という調子です。たぶんもう一度訪れると見事な復元模型が見られます。しょうもない企画者でした。後から加わったメンバーの蠟山さんも天童市内を無線機を持って歩いて実況してくれました。ちょうど私が無線の免許を持っていて無線機を何台か持っていっていたので無線で連絡をとって移動しました。

出雲地方に行っても出雲大社はほぼ無視して島根半島をを走っていくと「密航者に注意!」という看板があり、記念写真を取りました。また、宍道湖と中海の間を仕切る中海水門が話題になっているのでわ見てみよう。と車を降りた歩いて行くと不審者扱いされました。山陽道から中国山地をぶち抜くのは割と距離もあるし、道もくねくねしてます。途中の湯浅温泉は川床にわらの小屋の中には温泉が沸いています。中に入るとおばあちゃんから「前を洗って入るんだよ」と注意されます。

中国山地をぶち抜いて米子に出るとすぐ、床屋に行くと言い出してもみんな、ニコニコ許してしまう。「それじゃ、2時間、自由行動!」という調子です。ただしこれは後で裏があることにきがつかされました。ストリップ小屋でおばさんの白粉で真っ白になって宿舎に戻って笑い合ったり、今、思い出すと本当によくまあやってきたなと思います。

最近になると誰か「ブラジル!」と声をかけて欲しいなァと懐かしく思い出します。