農業専用地区

都筑区内にいくつか農業専用地区が設けられています。かつて、某不動産会社が田園都市線の南側に目をつけました。田園都市線の北側は高級住宅街が立ち並んでいました。そこにストップをかけたのが当時の飛鳥田横浜市長とそのブレーンです。横浜市の6台事業を発表しました.その中で地下鉄の建設や港北ニュータウンの建設も行われることになりました。港北ニュータウンは単に住宅街を作るのでなく、それまでの近郊農業を残し、市民の憩いの場として港北ニュータウンをぐるっと一周できる緑道が計画されました.そして、開発地から280余の遺跡が発掘され調査されました。残念なことに、大塚歳勝土遺跡を残して、埋め戻されました.

大塚歳勝土遺跡の隣に横浜市歴史博物館が建てられ、横浜の小学校6年生が社会科見学で訪れるようになりました。

横浜の農業も残されました。我が家の裏にはJAがあります。新鮮な野菜に出会えます。横浜開港時にこうした農業が港を支えていました。私の住む池辺地区は天然氷が取れ、鶴見川を辿って港に運んだ歴史もあります。

住宅地を一段降りると緑道があります。港北ニュータウン内の緑道は約20㌔あり、一周回るのに二日間かかります。所々に公園があり、富士講の塚がいくつかあり、富士が展望できたり、池には魚や亀がいて、鳥が飛んできます。

 

私はかつて日吉台中の一年生の遠足でこの緑道のオリエンテーリングを企画・実行しました。何気なく木漏れ日の中を歩いていくと、横浜市歴史博物館に辿り着きます。そこで折り返して学校に戻るコースにしました。

 

私は今、毎朝、電動アシスト自転車谷戸から坂を登って駅に出るまで畑の中の農道を走り抜けます。風がビュンと吹く中、ペダルを漕いで行きます。

 

スタジオジブリ初期の高畑勲監督の作品に「平成ぽんぽこ狸囃子」があります。印象的なシーンとして、多摩丘陵をものすごく大きなショベルが削っていくシーンがあります。

 

日本では多くの住宅開発は不動産会社が、一気にブルドーザーがどんどん整地して行きます。地区によっては山を削り谷を埋めます。

 

しかし、そのために犠牲になったことも多いのです。例えば、都筑区の名前の由来になった都筑郡郡衙跡は東名高速の建設中に見つかりました。しかし、十分な調査もせず、高速道路の建設が優先され、後戻りできなくなってしまいました。こうした例は日本各地にあります。

 

そういう意味で港北ニュータウンは危ういところで難を免れたのです。

 

しかし、自然と共に暮らすことはリスクもあります。我が家では今、何度もスズメバチが巣を作り、家族が不安になっています。それでもこの暮らしは大切な暮らしなのです。