教えないガイド

退職して引きこもり生活になっていたとき、妻が社会福祉協議会横浜市歴史博物館のガイドボランティア募集のチラシを持って帰ってきました。気分転換も兼ねて、応募することになり、無事、採用されました。一年目は学芸員さんの作ったを参考にしながら、ベテランのガイドさんに引っ張っていただいていれば良かったのですが、二年目に、ベテランの方たちがそれぞれの事情で辞められて、私はチーフになってしまいました。横浜市ではほぼ小学校6年生全校が4月から7月にかけて、大塚歳勝土遺跡の見学に来ていて、その案内がガイドの主な仕事で、チーフは

どの団体にどの団体にどのガイドを割り当てるか調整する仕事や博物館との連携、チーフ会議への出席でした。特に、二年目の年は見学予約がコンピュータ化されたのですが、プログラム上のもんだいがあり、同じ時間に団体が重なることもすくなくなかったのです。すると、他の曜日のガイドと連絡をとって、必要な人員の確保をしなければいけない状態でした。そして、木曜日の午後の担当が一人になり、80歳を超えた超ベテランの方の応援を仰ぐことになったのはとてもラッキーなことでした。Aさんは三内丸山遺跡のガイドを例に、あんなガイドなら、テープレコーダーにさせておけばできる。と酷評していました。例えばこのこの大塚歳勝土遺跡で方形周溝墓はどの位置から見せると全体が把握できるかとか、秘蔵のノートを見せていただいた。

ただ私はその通りにやるのでなく、ひとつのストーリーを持ってガイドをするようにした。

学芸員さんのマニュアルに沿ってやれば間違いはない。しかし、ここにきている生徒は本物に触れているのだから、その感覚を持って帰ってもらいたい。

自分自身の感覚を大切にさせなければいけない。事物の説明は必要最小限に。今、何を感じてる。と問いかける。

意外にも金剛地さんのガイドは細かいって噂よ。言われたりしましたが、それほど、歴史用語の羅列はしていない。では、なにが違うのか。五感に訴えているガイドを心がけているから子供達は目一杯頭を使って、45分を過ごしたと思います。

昨年、Aさんも90歳を迎え、引退された。私も引退させざるを得なかった。その時にどうやら分かったようだな。と褒めて、いただきました。また、副館長が同い年で副館長は日大文理の史学科の出身者をよく知っていて、講演会の後の反省会に呼ばれると、講師の先生へ紹介していただきました。

副館長も定年で退かれる前のチーフ会で私のタネ本「教えない授業」の写真を撮っていきました。