中体連書記

バドミントン部員は大会で、本部でパソコンを打ってる私の姿しかみたこともなかったし、自分の部員たちの大切な試合をコートサイドで応援することもかなわなかった。それでも一生懸命にを抜かずに頑張ってくれた試合結果を見るだけだった。大変に申し訳ないことをした。

浜中にいってまもなくだった。日曜日の練習後。内田先生から至急の電話が学校にかかってきて、すぐきてくれ。ということだったので、当時、平戸中にいらっしゃった内田先生のもとに向かった。内田先生がおっしゃるには、前日の組み合わせ抽選会の後、一人でプログラムを作ろうとしていたが、模造紙に付箋を貼って作ったプログラムの原稿が見当たらない。実は用務員さんがゴミだと思って焼却炉で燃やしてしまったそうだ。

その頃の私はそこら中の学校へ連絡を取っては練習試合を申し込んで、試合結果をファイルにまとめていた。内田先生ほその姿をおもいだして、きっとプログラムをメモしているだろう。考えたそうだ。完全なものだったのかどうかわからなかったが、大会は混乱なく終わり、それから20年にわたる中体連の「書記」がはじまった。約300校になる、横浜の中学校バドミントン部員の氏名の入力は容易な仕事は本当に細心の注意を伴う仕事だった、いちいちそれぞれの選手名の入ったプログラムは親にとってみれば子どもの成長の証だったそういう意味で名前の記載ミスはゆるされない。そんなことしているとパソコン入力だけで、深夜12時を過ぎてしまいます。浜中と違って、南が丘では、話を聞いてほしい生徒たちが集まってきます。そんな対応をしていると、さらに時間は経っています。横横道路を飛ばして帰り、朝6時前に朝練に来た生徒を待ちます。

私が初期になってからは一気に大会運営はコンピュータ化しました。

大会運営ソフトを日本協会の浅見先生からでんじゅされると、大会運営の一元化しました。

大会抽選会もシード校が決まれば後はソフトに任せておけば間違えのないトーナメント表ができます。

強化練習会もあり最初に登録選手名さえ入力しておけば詳細なリーグ戦表ができまます。

一番最後に大会結果表かできあがります。それを報道各社へ送ります。

そして、大会の反省会に出席します。

大会運営ソフトを使ってさらに一元化が進み、大会ソフトがまだ開発途上にあって、大会の最中にデータがすべて消えてしまう事態でもバックアップしながらも、大会を成立させたりしました。

合宿では朝練の指導、食事の指導、弁当やポカリスゥエットの配布…雑用係です。

ある合宿で先生たちのランキングを作ってこの先生に勝てたらこの県に勝てるという表がはってあって、一番下に私の名前がありました。

やはり自分のチームが合宿に、連れて行きたいので、土日祝日ありませんでした。もちろん、仕事が休みの妻や子どもたちに気が付かれないように家を出て、吉野家の朝定食ヲ食べます。

確かに生徒に恵まれた年もありました。しかし、それだけではダメなので、自分のチームにはみっちり教えて、たとえ全員150㎝以下のチームでも県大会で戦えました。

また、どの顧問も私がすべてのオーダーをインプットしてます。

もちろん抽選会でシードを決めるのに県内外の情報に接している必要があります。

他の学校からの合同練習のお願い。

常に新しい練習法の研究。コーチの要請。

中体連の仕事だけでこれだけあります。

もちろん、学級担任や校務分掌の仕事。

また、そして、横浜市社会科研究会の講師の仕事。

 

妻からは強い不満の声をぶつけられます。

もっと普通の教師生活はできなかったの、と。

実際定年を10年近く前に病気を発症してしまいました。

今は65歳とは思えない体です。

 

例えば、プログラムをつくって、最後に部長の先生から、この名簿を先頭につけておいて。全く知らない名前が並びます。これは大会役員名簿です

本来、地域の大会運営は地域のスポーツ団体が運営するものであって、教員の本来の仕事でないはずです。日本のスポーツ組織はこうして安上がりな形でスポーツを、進めてきています。

終業時間になったら、教師も退勤して、教養を養う時間があってもいいと思います