ジョン・ウェインはなぜ死んだか

寺尾中の一年目、私の後ろの席にそれほど目立たない。(寺尾中の先生方はすごい個性派集団でした)

国語の先生が座っていらっしゃいました.、ある時熱心に単行本を読まれていました。真剣に読んでいて、読み終わったところで振り返って「金剛地さん、から読んでみる?と言って渡されたのが「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」でした。西部劇の大スターのジョン・ウェインについては叔父が西部劇が大好きだったので顔と名前は知っていました。

しかし、読み始めるとハリウッドのスターたちの家の地図がかいてありました。そして、いつ死亡したのかが書いてありました。なんかおかしな本だな、と読み続けていくと、西部劇の撮られていた谷の隣の谷で何が起きていたのかが、出てきました。その隣の谷では原爆実験が行われていたのです。そして

その死の灰は風に乗って西部劇の撮影している砂漠にも降り注いでいたことが分かりました。ハリウッドのスターたちの死因の多くは癌でした。それは絶え間なく降り注いでいた死の灰による放射線の被害者だったのです。

ここで同じ頃ハリウッドにいた人物が紹介されます。ロナルド:レーガンです。彼はのちに大統領までのぼりつめます。なぜ彼は助かったのでしょう.実は彼はいわゆる大根役者でした。西部劇の役を持たせてもらえず、ハリウッドでテレビの司会をしました.そしてその司会ぶりから政界へ、そして、議会に出て、大統領候補になり、見事に大統領に当選しました。レーガン大統領は最初の頃はスターウォーズ計画とかぶち上げていましたが、ソ連で大きな動きがありました。ゴルバチョフ書記長の登場です。当時のソ連チェルノブイリ原発の爆発の後始末に追われていました。日本でもRCサクセションが反原発のアルバムを出していて私もてにいれて聴いていました。そんな時にソ連に登場した新しい書記長は「ペレストロイカ」「グラスノスチ」と言った用語がつたわつ^_^できました。それまでと違って情報公開へ進みました。ちょうどその頃、だ学年の自然教室の様子を見に特別活動指導は情報交換していました.、部活の終わって後、車で白樺高原へ向かい、キャンプファイヤーの様子を見て帰ってくることを毎年行っていました。ある年、田中直伸先生が助手席に乗りました。直伸先生にはいろいろ役割を振って活動してもらっていました。その辺の話もしたはずですが、いつのまにか、ソ連の現状と未来について論争になりました。私はソ連は崩壊する。と言いました。直伸先生はまだ社会主義には力はあると主張しました。両者とも譲らないままとうとう横浜まで帰り着いてしまいました。その後、ベルリンの壁の崩壊など私の話していた方向へ進んでいたかに見えました。ゴルバチョフが失脚し、エリチィンからプーチンに代わっていってロシア経済は好転しました。そこから長いプーチンの時代が始まりました。

話を元にもどすと、私は組合の教研委員を続けていて、3.29横浜大空襲の話の全校放送をしたりしていました。そういう意味でこの本を紹介していただいてすごく勉強になりました。それまでは原爆の被害の映像とかそういうものにたよっていたのが新しい視野が広がりました。考えるヒントっって意外なところに転がっていました。