私の特別活動指導

浜中を去った後、さまざまな学校の特別活動指導について見ていると共通しているのが生徒会本部にすべての責任を負わせる形で指導がされていて生徒会本部役員が大汗を全てに関して企画運営をしている。生徒会担当教員も大変な思いをしているが、他の委員会との横の連携が見られないことだった。

私は特別活動指導全体について生徒会役員や各委員会の代表たちに毎年、4月に講義を行うことにした。

中学校では3年生の公民で三権分立地方自治についての学習をする。その一番最初の実践の場が特別活動であると図を書いて説明した。生徒会本部をはじめ各委員会は「行政機関」、そして評議委員会こそが「国会もしくは議会」にあたる。生徒会本部はその財務担当、総務担当である、ということ。あとは各から提案、報告を行う。文化祭実行委員委員会、体育祭実行委員会も同列である。それをに国会議員」である各クラスの評議委員(学級委員のうちどちらか一人)が出席して審議をする。もちろん、保健指導担当、文化祭指導担当、体育祭指導担当教員にも評議委員会への出席を求めた。それらを評議委員会は学校全体の問題として討論していく。学校職員全体にその構造をせつめいした。評議委員会の時に、担当教員たちも出席して説明を求めることも行った。もちろん生活委員会指導の生活指導担当教員にも出席を願った。そういう構造で学校全体が動いていく。それをすべての指導担当の教員も出席する中で審議を図った。学校行事全体の話について検討しなければいけなくなれば教務担当の教員による説明のため出席を求めた。

特別活動指導を特別活動指導担当にだけ任せておくのではなく、評議委員会こそが学校を動かす組織である。ということを徹底した。教務主任とよく調整した上でそういう特別活動指導のできるように行事予定を組んでいただいた。

もちろん自分たちは特別活動指導とは関係ないと反発される委員会指導担当の職員をきちんと浜中でのシステムの理解を年度当初に確認をした。

大変に助かったのは生活指導部の理解が得られたということである。

生活指導部長と特別活動指導部長の私は隣り同士の席で常に学校全体に関する生徒の指導について共通理解を図っていた。

面倒なのは教務主任と特別活動指導部長の私との間の日程調整が常に綿密に行われているいたことである。その辺については歴代の教務主任と特別活動指導の私の間の共通理解ができていたことである。

もちろん一朝一夕にこういうシステムが構築できたわけではない。私の前任の特別活動指導部長はなん度もリーダー研修会を宿泊までしてリーダーの育成を図ってくれていたからこそ、私の特別活動指導システム導入へスムーズに移行できた。そこまではかなりの時間と手間をかけて職員全体の発想の転換を図っていった。毎年、職員が入れ替わるところで「浜中の特別活動指導システム」の理解を図るための提案を何度も繰り返し提案させていただいた。

しかし、浜中を立て直そう共通理解があればこそのシステムであった。

評議委員会に出席する生徒はそういう意欲を持った生徒は大きな権限を持ち他の委員会について追求することも許されていた。つまり単なる報告機関ではなかったということである。「議会・国会」なのだ。

私の特別活動指導はこうしたシステムのプランを作成し、構築することであった。どれだけ学校全体を巻き込みながら進めていくか、それは生徒会本部が勝手に行うものでない。ということである。

そのため特別活動指導部長として学校全体への目を行き届かせる責任はあった。浜中に転任してから去るまでの間、そういうことを頭に入れながら進行させていった。

よその学校の特別活動指導部長から見れば、なんと出過ぎたように見えると思う。それでも本当によく先生があったからこそできたと感謝している。

だから、その後に転任先で生徒会担当が一身に抱えこんでしまっている姿を見て、そうじゃないんだ。と思うこともしばしばあった。