翼をください

軽音楽部にいる時、メインのバンドに選ばれるのはすごくきびしかったし、週1回、廃屋での合宿。ねむるとき、額に飾ってある写真が怖かった。ただメインのバンド以外にもたくさんあった。

定期演奏会は私が全部の楽器をチューニングした。そんな忙しい中、一人の短期大学の方の女の子が「金剛地さん、もしよければ『翼をください』の伴奏してくれませんか。」と声をかけてきた。学食です一人で悩んでいる時、2年生のベースギターとボーカルの先輩が声をかけてきた「金剛地、どうしたんだ」というのでことの顛末を話すと女声ボーカルの先輩から、「あなたの大変なことはその子もきっとわかっていて、それでも歌いたいのよ」と言われベースの先輩からも「お前のピアノじゃなければだめなんじゃない」と言われた。練習を始めた。その子はとても華奢で声量も小さく、ほとんど歌詞をたどるだけだった。メインバンド、ジャズバントの練習が終わっても待っていてくれた。あらかじめ東海道線の最終便時間を言った上で、練習した。それでも「この曲をどう解釈してるんだ」とか厳しく練習した。

プログラムの中にも二人の名前と「翼をください」が書かれていた。

定期演奏会が終わった。その女の子の姿は私の前から消えた。

たぶんその子は先輩たちにも相談した上でお願いにきていたんじゃないか、と今は思います。

また、私の「翼をください」のイントロは赤い鳥の平山泰代さんのピアノからコピーしているので、楽譜と雰囲気が変わるとおもいました。そのバージョンで歌ってみたい気持ちがあったと思います。

軽音楽部は実力主義の部活でした。どんなにカッコつけていていい楽器を持っていても振り落とされました。あのチャラ男コンビもそうでした。新歓コンパでまだ自分のビールを飲むペースがわからないのをいいことに、危うく救急車直前まで追い込まれましたが、結局、彼らは活動の場を英語部へ移して英語劇をやっていました。

一方で軽音楽が好きであればいつまででも所属できました。

しかし、年に一度の定期演奏会は勝負がかかっていました。あちこちのアマチュアバンドも見学に来ます。ある意味で東海地区大会の行方を左右する部活でした。

部長の楽器はコンガです。コンガを叩きながら、下級生たちを厳しく指導しました。でも一番厳しくされていたのはメインボーカルの先輩でした。目の前であれだけ厳しくされていれば、下級生もでは抜けませんでした。2年上の先輩でポプコンの本選会に出場して入賞した先輩が練習を見ていて、私に自分のエレキピアノを譲ってくれました。無言で次はお前だ、ということが伝わりました。だから私にも厳しかったです。ただそのおかげで初任校のブラバンの生徒の前で裏拍やったら意気投合してしまいました.

そんな軽音楽部で「翼をください」をお願いしてきた女の子は私の視界の中になかった子です。でもどこかで見られていたかもしれないと思います。

ただ一曲だけのお付き合いでした。それ以上の発展はなかったと思います。だけど、今、思い出すとその子がどれだけ強い決意でお願いに来たのかわかる気がします。

翼をください」はまだまだたくさんエピソードがありますが、これも忘れられないエピソードの一つです。