深夜放送の時代

ミュンヘンオリンピックの最中、ある日、私の母は深夜にも関わらず、2階の私の部屋へ駆け込んだ。「敏雄、大変だ、全日本が負けてる」「そりゃ大変だ」親子で階段を降りてテレビの前に陣取る。

有名なミュンヘンオリンピックの男子バレーボールの準決勝の話である。相手はブルガリア。エースのズラタノフが絶好調。次々とスパイクが決まる。当時の世界の男子バレーボールはソ連東ドイツ、日本が三つ巴の戦いが続いていた。準決勝でソ連東ドイツが当たって激戦になっていた。私は当時、昼休みはクラスみんなでバレーボールを楽しんでいた。そして、オリンピック前には男子バレーボールの一人一人の選手や技術をアニメと実写で作った番組「ミュンヘンへの道」を見て日本の金メダルを確信させていた。しかも、ライバルのソ連東ドイツも反対側の山。こりゃ、決勝進出間違えないだろう。とたかを踏んで、深夜放送にうつつをぬかしていた。当時の深夜放送は下ネタがいっぱい。それを聞いて翌朝、友達と披露し合う毎日だった。ちなみに私は中学校3年生。どういう立場なのかわかると思うが、だいたい担任の先生の進路指導も「お前は隣(柏陽高校)へ行け」で併願もない。その状況にも関わらず、深夜放送にうつつをぬかしていた。そんなところへ母は躊躇いもなく、私の部屋へやってくる。というのは息子が日常の深夜をどのように送っているかを熟知していたのだ。どうせ勉強なんかしているわけがない。母の読み通りだった、しかし、母からの話はこの親子にとっては受験より重大事だったようだ。それから朝まで激戦が続き、最後に島岡のスパイクが決まった。翌朝、学校へ行ってみるとクラスの仲間もほとんど中継を見ていて、大いに盛り上がった。

12時に「あおいくんと佐藤くん」「たむたむタイム」そして「コッキーポップ」この後が午前1時になると、「オールナイトニッポン」「サイ・ヤング」「パックインミュージック」などの深夜放送が並ぶ。特に「オールナイトニッポン」や「パックインミュージック」は下ネタ満載でそれぞれ聴いたネタの披露で男子たちはもりあがるし、時々、面白い曲があるなと思うと、放送禁止になったりして。その辺が要チェックである。おかげで放送禁止歌についてはかなり耳コピーをさせていただいて翌朝、ギターを持っていって披露する。そんな時代だった。

今でもいくつかの放送禁止歌は頭に入っている。

もしこれを職場で披露しようものなら女性の先生方の総スカンををくつていただろう。俳優の澤村一樹には「エロ男爵」という称号がついているが当時の男子生徒たちはまさにその予備軍だった。女子生徒の前ではギターで「コッキーポップ」で流れてた曲を披露する。すましたものである。高校生活となるとこれがさらにパワーアップしていく。それはまた後の話…