ギックリ腰

第一回。始業式が終わった。担任発表があって最初の学活が終わると生徒会役員と一緒に入学式用に模様替えが必要になる。新入生挨拶のための階段を下に下さなければいけない。ここでしくじったのは生徒会役員と教師は生徒会担当の私だけだった。

重い木製の階段を体育館の床に下ろさなければいけない。しかし、想像以上の階段の重さに生徒の一人が手を離してしまった。生徒を守らなきゃ。私はグッと階段の重みを堪えて静かに下ろすと、そのまま腰を抑えたまま動けなくなった。職員室に生徒会役員が走った。すぐ高橋直弘先生が駆けつけ、気功てわ直そうとしたが、そういう問題ではなく、すぐに救急車何来て病院へ運ばれた。入学式は生徒会役員たちで繋がなく進行した。一方の私は病院のベットの上。動けない。夜になってから、痛みがひどくなって看護師さんにものすごい太い痛み止めの注射が打たれて、やっと寝ることができた。

翌日。戸崎先生が車でお見舞いに来てくれたタイミングで戸崎先生の車に乗り込み、浜中に向かった。そして、学級通信を書いて印刷した後、自分の車で帰宅した。しかし、痛みが簡単に引く代物ではない。そして、3年1組の担任として学年が始まってすぐ修学旅行だった。京都駅は改装されたばかり、先頭のクラスが迷うわけにいかない。その時、柔道部の生徒が私を背負ってくれた。私は背中の上から進む指示した。とんでもないクラス開きだった。

第二回。日吉台。廊下で生徒の相談に乗っているところに不意にスライディングタックルをかけられて受け身をする間もなく、腰から落ちてしまった。再び動けない。すぐに救急車が呼ばれ、病院に運ばれた。しかし、その日は修学旅行の大切な会議がある。医師に💊をうってもらって松葉杖を借りて、タクシーになって学校に戻った。「金剛地が生きてた」と関係生徒たちは会議室の窓の外からこちらをのぞいている。大丈夫な訳はない。養護の先生から全校へ注意を喚起するプリントが配られた。

この代の生徒たちが20歳になった時、学年全体の同窓会が開かれた。元関係生徒たちはすぐに集まってきて「金剛地、腰、大丈夫か?」という。私は「バッカ野郎、大丈夫なわけないだろう」。

本当に現役時代。こうして何度もギックリ腰を繰り返しました。